明治から始まったレモン栽培のこと、輸入レモンの影響で園地がほとんどなくなってしまいそこから立ち上がったこと…。初めてきくことばかりで学びがたくさん。JAひろしまの土井さんからせとだエコレモンの歴史についてじっくりお話をききました!
そもそも“せとだエコレモン”ってなんでしょう?普通のレモンと違うんですか?
「皮まで食べられるレモン」のことです。安全・安心な栽培管理の実践を理念とし、安全で豊かな生活が送れるように願いをこめ、広島レモンの最高峰「せとだエコレモン」として、自信をもって消費者にお届けしています。
へえ~!皮まで安心して食べられるのは魅力的!目印はありますか?
広島県認定の「特別栽培農産物」のマークがついているレモンが、“せとだエコレモン”の証です。
「特別栽培農産物」とは、化学合成農薬、化学合成肥料を慣行の5割減で栽培した農産物のこと。広島県の認証基準に基づいて栽培されたレモンが“せとだエコレモン”と認められています。
せとだエコレモンを買いたいときの目印になりますね!
ところで、生口島のレモンはなぜこんなに有名になったんですか?
よくぞ聞いてくれました、長い歴史があるんです!
そもそも瀬戸田でのレモンの栽培は、諸説ありますが、明治時代に始まったと言われています。レモンの価値に気づいた先人が、瀬戸田をレモンの産地にしようと昭和2年から増殖をスタートしました。
「レモン谷」といわれる地名の残る垂水地区では、戦後のレモンブームを巻き起こし瀬戸田レモンの基礎を作ったんです。
レモン栽培が明治時代から行われているなんて、びっくり!そこからレモンが普及したんですか?
はい、レモン栽培が全島でも始まり、
昭和38年には約900トンの規模に増え、日本一のレモン生産地を誇っていました。でもそこから、国産レモンの苦難が始まるんです…。
昭和39年、安い輸入レモンがたくさん日本に入ってきて、国産レモンは壊滅的な打撃を受け、レモンの園地はほとんどなくなってしまいました…。瀬戸田でも、レモンの木はたった数本になってしまったんです。
なんという事実…!どうやって立ち上がったんでしょう?
昭和50年、当時輸入レモンに使用されていた農薬の発がん性が問題となり、国産レモンが見直されました。
その後、安全性の高さと香りの豊かさを売りに、当時農協の常務理事だった永井安一氏が国産レモンブームの仕掛け人として昭和57年には全島を挙げてレモン増殖運動を展開し、日本でいち早くレモン産地の復活を成し遂げました。
そんな歴史を経て瀬戸田町は日本一の生産量を誇っているんです。
長い歴史の中で、多くの困難を乗り越えていまがあるんですね!
せとだエコレモンが普及したのもここ最近です。まずレモンの木を大きくするのにも7~8年かかりますし…。
先人たちが頑張ってくれたおかげです。